
介護のゴールを考える
介護のゴールは、どこにあるのでしょうか。3年目に突入している認知症の母の介護。このゴールはどこにあるのか考えることがあります。これまでも、少なからず、いくつかのターニングポイントがあったと思います。
1つ目のターニングポイントは、母が認知症とわかったとき。このとき、母は大阪、兄は東京、私は海外で生活していました。当時、母はお店をやっていましたが、兄も、私も生活の拠点は、東京でした。家族の中で、誰も介護したことがなかったため、結婚していない私と同居することになりました。母の資産の無さから同居しましたが、今になると、これは間違った判断だったと思っています。
2つ目のターニングポイントは、同居1年半ほど経った頃。おもらしが、目立つようになり始めました。また、昔から母は、私に対して文句を言うのですが、それは認知症になっても変わりません。そういう昔からの習慣は、治ることも治すこともできなくなります。仕事終わって、スーパーで買い物をして夕飯を作る。こんな母中心の生活をしているのにもかかわらず、「こんなん食べられへん」、「寿司が食べたい」とか、バカにするにも程がある言動。兄にも話をしましたが、「施設に入れることは、子供に見捨てられたと思う」と言われ、「そういうことは、介護してから言って」と言いました。
どのような介護が、望ましいのか
20年以上、お互い一人で生きてきました。いくら血が繋がっていたとしても、自分以外の人がいる空間は息が詰まります。一番良いのは、別居なのですが、後期高齢者で、認知症の母は、部屋を借りることもできません。
見守ってあげれば、まだやれることはあるのですが、見守るのは私でなくてもいいというのが、私の考えです。人であってもいいし、ロボットでもいいと思っています。決まった時間に薬を飲むことはできませんが、薬を飲むことはできます。時間を気にして料理を作ることはできませんが、ラーメンを作ることはできます。
見えにくい介護のゴールですが、在宅介護の場合、どちらかが死ぬまで続くのだと思います。正真正銘のデスマッチだと痛感しています。
介護の前にしておけばよかったこと
認知症の母に料理をさせる理由