前回:「母の介護に至るまで:2017年、夏から年末まで」の続き
年が明けて、2018年。この時点でも、まだ、2、3年は大丈夫だろうと思っていたため、海外から日本に帰国する生活を続けるつもりでいた。
母は、お金の管理はできないので、私が、給料の支払いなどを代わりにすれば、お店はもう一度、軌道に乗ると思っていただが、お店の売上も減っており、母が自分の預貯金で、やり繰りしていた。
本来であれば、買わなくていいものや、高額な携帯料金の請求で、母の生活は逼迫していることがわかり始める。部屋、冷蔵庫が、全く片付けられなくなり、家事は、かろうじて洗濯するとういう感じだった。
(当時の冷蔵庫)
2018年1月
月1回ペースで、物忘れ外来に通うが、徐々に、できないコトが多くなり、お店の仕入れや、家賃などの支払いが、滞りはじめる。
請求書が来ていて、忘れないように玄関に置いているが、置いているコトすら忘れていた。
2018年2月
朝、電話で母を起こして、薬を飲ませ始めた。この頃から、5mgを飲み始める。
2018年3月
母だけでは、なかなか、薬を飲み続けることは難しかった。定期健診で「少し気になる記憶の飛び方をしていますね」とお医者様から言われる。
2018年4月
私は、日本に帰国。再び、東京で暮らし始める。
2018年5月
GW明けから、毎週末、大阪に帰り始める。週末ごとにこれまでの売上、支払いを精査していったが、大きく赤字であることが分かり、家賃などを変わりに支払う。
この状態では、私も生活できなくなるため、母の店のスタッフの方々とも話し、夏頃にお店を閉めることを告げる。
2018年7月
母のお店、閉店。
2018年8月
母を私の住んでいる所へ呼び、介護スタート。
介護の方法など、全く調べていなかった。「特養」と言われても、何のことか、全く分からない状態。同居するまでに、デイサービスの利用方法など、ネット、役所関係に電話をして情報収集し、東京に来たと同時に、それらを一斉にスタートさせた。